変わらない「こだわり」。立ち止まらない「夢」。丸進工業は帆布の進化に挑み続けます。





その歴史は古く、古代エジプトにおいて亜麻帆布が作られ、船の「帆」として使われるようになったのが始まりとされています。日本で最初に確認された帆布は、織田信長の帆船とも言われていますが、現存するものとしては播州高砂の人、工楽松右衛門(1743~1812年)が作ったものが最も古く、今も彼は日本の帆布の祖としてあがめられています。

やがて、明治(1868年)になると帆布は、鉄道貨物のシート、テントといったものから、お酒、醤油つくりのコシ布、あるいは、職人さんのもつ道具袋、牛乳配達袋、氷袋、一升瓶入、学生のさげカバンなど、さまざまな産業生活資材として大量に生産されていきました。岡山県児島地区は古くから綿花の栽培が盛んに行なわれ、撚糸技術を生かした日本一の綿帆布の生産地として全国生産の7割を占め、現在でも織り続けられている。その代表的な産地の一つが、今も昔ながらの面影を残す、ここ倉敷市の曽原地域。岡山県南部に位置し「曽原」という地名は原野に帆布を干した「帆原」から由来するとも言われています。そして、時代の流れと共に生活様式は変化し、その需要が減りはしたものの、今でも倉敷は数少ない帆布の産地として国産帆布の約7割を生産しています。

綿花




元々、綿帆布は船の帆として使われて、化学製品が無い時代には、一番丈夫な布として使われまた。明治時代より、トラックの幌や、貨物列車のシート、テントなどに使われて、生活の中のありとあらゆる所に綿帆布を使った製品が溢れていました。
昭和30年代は綿帆布の最も多く生産された時期です。昭和40年代に入りますと、化学繊維、ポリエステル帆布が使われるようになり、昭和50年にはトラックや貨物列車が、アルミボディーなどに替わって、綿帆布は時代ともに減少していきました。
昔から作り続けられている綿帆布の特徴のひとつに防水テントがあります。それは、水を通さず空気は通します。しかし、重いのです。またポリエステル帆布は、綿帆布に比べて約5分の1の厚さで同じ強度が保たれるので、軽く、水も空気も通しませんが、蒸れて結露が発生します。綿帆布の代替品として大量に使われるようになったポリエステル帆布ですが、綿帆布じゃないとだめな製品も数多く残っています。摩擦や熱を発生する伝導ベルトの基布や熱で溶けては困る溶鉱炉で働いている人の服とか、静電気が起きないため、電気工事の人たちが使っている工具袋など現代でも様々な用途で使われています。


幌馬車Jeepの幌に使用されていた。